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平成20年4月20日公開 豪華絢爛本丸御殿
 

 加藤清正が7年もの歳月をかけて築城した熊本城。武者返しに代表される見事な石垣や堂々とそびえる天守閣など、熊本のシンボルとして愛されてきた熊本城は昨年、築城400年を迎えました。
 熊本城に関しては、絵地図や古文書など多くの資料が現代にまで残っています。それを生かして往時の姿をよみがえらせようと、平成10年に始まったのが、熊本城復元整備計画です。これまでに南大手門や飯田丸五階櫓などの復元が完了。そして今年、歴代肥後藩主の行政の場として使われていた「本丸御殿」が復活し、4月20日、いよいよ一般公開が始まります。


くらがりつうろ
本丸御殿大広間へは、闇り御門(くらがりごもん)と呼ばれる門から入場します。本丸御殿は、石垣と石垣の上に建てられており、その下には地下通路が存在。往時は昼間でも暗かったため、この名がついたと言われています。入場者はここから階段を上り、大広間へ。枝分かれした地下から続くもう一方の通路は「不開門(あかずのもん)」へつながり、万一の時の避難路だったとも伝えられています。地下通路で見る、建物を支える赤松の梁やケヤキの柱は圧巻。


 
おおひろま
往時は、部屋数53室、全部で1570枚もの畳が使用されていたという本丸御殿。藩主の居間や対面所(接客の場)、大台所などが備わり、天守閣と並んで、重要な行政の場としての役割を担っていました。今回復元された部屋数は25室、畳数は580枚にのぼります。大広間は、玄関口である60畳の鶴之間、35畳の梅之間、28畳の櫻之間、24畳の桐之間が連なる広大な部屋。接見に利用されていたこの大広間の先に、藩主の部屋であったとされる若松之間が続いています。



 



おおだいどころ
今回の復元で使用された木材は全て国産、しかも可能な限り熊本県産材が使われました。また、重要文化財などの復元を手がけてきた熟練の技を持つ大工、左官、飾り金具や表具師さんたちが、伝統工法を用い、400年前の工具も再現するなど大活躍。囲炉裏を備えた大台所は、囲炉裏で煮炊きする煙や熱を逃がすため屋根に開口があり、天井がありません。そのため、本丸御殿全体に共通する、屋根の小屋組みの見事な構造や梁を見ることができます。
 

わかまつのま
大広間の奥にある藩主の居間、若松之間。藩主が家臣と接見する時に使用されたと言われ、部屋の名前の由来となった若い松が描かれた障壁画で囲まれています。文献などに残る資料から、当時の絵は狩野派のものとされ、今回、現代の専門家の指導の下に復元されました。きらびやかな障壁画は、まさに「藩主」の座にふさわしい風格を備えています

 



しょうくんのま
若松之間の隣に設けられた昭君之間。名前の由来は、中国前漢時代の美女、王昭君の物語が描かれた障壁画です。「昭君」は、実は「将軍」の隠語であり、豊臣秀吉子飼いの武将であった清正が、秀吉の遺児、秀頼に万一のことが起こった時、熊本城に迎え入れるための部屋として造ったという言い伝えがあります。また、熊本城築城に携わった大工が残した古文書に、この部屋には抜け穴があったという記述も。謎と美に満ちた豪華絢爛(けんらん)な部屋は必見です!
 
しょうくんのま・てんじょうえ
格式を整えた昭君之間は、各所に豪華な漆塗りや飾り金具が配され、現実を離れ、別世界に飛び込んだかのような気分になります。天井画は全部で60枚。きらびやかな飾り金具が配された、重厚な黒漆の格子の間にはめこまれています。この天井画は、復元計画の資料調査で発見された「御城内昭君之間合天井図」により、その詳細が判明。文化財の修復を専門に手がける京都の絵師たちが、狩野派の技法を用いて復元、現代によみがえりました。



 


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■お問い合わせ
熊本城総合事務所
熊本市古京町1番1号
TEL:096-352-5900

熊本城公式ホームページ
http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/

熊本城築城400年祭公式ホームページ
http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/400/

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